優しいやつ以外はさっさと死ね

隅っこで戦闘モード

ひな祭り

 今週のお題「ひな祭り」

 

先日、帰省すると雛人形が飾られていた。

もう26歳になるというのに、

数日滞在する娘の私のために

雛人形を飾ったという。

 

小さな頃からあった雛人形

雛人形の相場は知らないが

きっと安くはない買い物だっただろう。

 

私が記憶も定かでない小さい頃、

母と父があれじゃないこれじゃないと

一緒に探しにいったのだろうか

それとも祖父や祖母が買ってくれただろうか

 

二十年以上前になるそれを想像すると
とても温かく、優しい気持ちになる

 

年に数日の、必需品とも言えない雛人形

転勤族の父と母は荷物も多い。

その中で、年に数日どころか

もしかしたら飾らない年すらあるだろう

けれど重く、扱いの面倒くさいそれを

何回もの引っ越しの度に捨てず、

また、次も持っていく

 

母は、三人官女までの雛壇を

小さい雛壇でごめんね、と言った。

けれど私はその雛壇を

小さいと思ったことは不思議とない。

 

私がお雛様に興味がなかったせいか

雛壇を見た記憶は多くない。

せっかく一人娘のために買ってくれたというのに

こちらこそ申し訳ないものだ。

「恋だのは二の次、母の愛に今気づけ」

と、中高生時代の自分に言ってやりたい

 

雛人形をとおして今更だが、
母の思いに気づけた私は幸せ者だ
その思いに気づく娘をもてて
きっと母も、もちろん今更だが

幸せだと思う


世界はこういった優しい気持ちで
溢れているべきだ

だってこの文章を書いてる私は

今、とても幸せだもの

 

私が帰省する日に合わせて母は

記憶を頼りに飾り付けをしたという

 

菱餅を置くはずの台には

チョコレートがおかれていた。

そこにいるはずの菱餅

全く違うところに配置されていた。

 

間違いに気づいたのは

両親と小さい頃のアルバムをみたときのこと。

偶然、その雛壇と映る私の写真を見つけた。

 

母が小さいと言うその雛壇は、

二十数年前の私の後ろにあった。

 

それは幼き頃の記憶通り、

大きく立派な雛壇だった。

 

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